水野歌夕 日本, 1969

誰にでも人生のある時期の出来事や思い出と結びついて、心に浮かぶ道があります。それは、懐かしい家路への道、通い慣れた通学路、それとも大切な何かが待つ場所へと続く道かもしれません。 私が子ども時代を過ごした家は、細い抜け路地に面して建っていました。その滅多に車の入ってこない路地の中で、毎日毎日、縄跳びやシャボン玉、竹馬やケンケン、ゴム飛び、ママゴト、日が暮れるまで遊んだものです。日陰にそよそよと吹く風、少し湿った土の匂い、キンモクセイの花の香り、夕飯の焼き魚の匂い、お豆腐屋さんのラッパの音、夜半に吹き抜ける比叡おろしの風の音、路地に季節はめぐって行きました。

今も路地を歩けば、そんな思い出そのままの光景に出会います。そこには京都という風土の中に深く根ざし、過去から現在そして未来につながる暮らしがあるからなのでしょう。

夕暮れ時の路地は、懐かしい不思議な気配に満ちています。家人によって掃き清められた路地の薄暗がり、お地蔵さんの祠の側には、時空を超えて古の街に迷い込んだような気持ちにさせる何かがあります。入り組んだ抜け道は、迷宮への入り口のようです。そこかしこに、きっと、まだ土地の精霊や守り神が潜んでいるに違いありません。

私はいつのまにか、そんな路地の印象、出会った風景、人々と交わした言葉、空気、匂い、光、何気ない暮らしの一瞬一瞬を写真に記録したいと願うようになりました。それは、気取ってもいなければ、華やかに彩られた京都でもないけれど……。そして路地を撮り始めて十数年がたった今、京都の町中に生まれ育った人にとって、路地は心のふるさとなのかもしれないと思うのです。

 

水野歌夕 『京の路地風景-水野歌夕写真集』まえがき(東方出版) より